終焉から50日目に思うこと

企画言い出したプロデューサー役 渡辺裕一

私が住んでいた美野里ハイタウン。その終焉の日まで、三ヶ月以上続いた記録作業。引っこしていく住人。住み続ける住人。様々な人間の様々な姿を撮影し、現場の団地の一室で、ディレクター沖田が編集。その映像は、このために立ち上げたWebサイトで公開していった。
Webドキュメンタリーの新しい試みだ。

Webドキュメンタリーは、リニアな映画やテレビ番組とは違う。並んでいる映像は見る人の選択で、どれを見てもいいし、どんな順番で見てもいい。アップされる映像は増えていくと同時に、見た人のリアクションを受けて変化もしていく。動画映像以外に静止画や文章もある。いまある姿はWebドキュメンタリーとして完成したものではないが、可能性の一端は示していると思う。とくに、終焉の日まで同時並行での現場からの発信は、Webドキュメンタリーらしかった。

何を見る人に伝えたいのか。それを聞かれたことがある。
じつは、単相的な何かを、このWebドキュメンタリーから一方向的に伝えようとは思っていない。あえて言えば、双方向で複層的な、見る人がドキュメンタリーに加担して生じる何か、としか言えないもの。それがこのドキュメンタリーと、見る人の間に成立することを目指している。
見る人が、伝えたいことを一方的に受け取るのではなく、見る人が考えアクションするきっかけ、みたいな。例えば、このサイトを見て、解体される直前の美野里ツアーに来た人がいた。その人がさらに被写体になる。さらに誰かに何かを伝える。この過程やそこで起きること、Webドキュメンタリーはそんな広がりを作り出していく。

双方向性。
リアルタイム。
現場性。
汎地球性。

Webに限らないが、これからの映像の可能性は、ここらにあると思う。
例えば、遠隔地にいる美野里ハイタウンで生まれ育った人が語りを動画で投稿する、とか、地球上の別な立退きに直面する住人とやりとり、とか、できるかもしれないことの妄想は広がる。
でも、現状では取材班が撮影し編集した動画をいちいちアップしているし、美野里ハイタウン住人の少なからずの人、特にお年寄りはサイトにアクセスする手段がなかったりする(デリバリーしたりした)。

そのほかいろんな障害もあり、取材班が結局撮影できなかったこともあった。例えば、大家への取材。終焉以降ほぼ一人で取材を担う小川が、デベロッパーへの電話取材を試みているが、周辺関係者の取材は残された課題だ。
取材の中心となったのは、沖田、小川両氏。人手不足、機材不足も乗り越え、過重な負担に耐えて、2人は終焉までの取材を完遂。私のサポートは当初予定のようにできなかった。申し訳ない。
サイト作成には横山、工藤、坂井各氏の助力が不可欠であった。煮詰まりがちの現場へ応援に来てくれた須崎氏。本当に助かった。
中学生特派員の晴氏は、携帯メールでリアルタイムのレポートを送ってくれている。たのもしい協力者に、期待している。
ほか現場に来てくれた人たち、美野里の住人のみなさん、関係各氏、ありがとうございました。

終焉ではあった。が、ここから始まるものもある。

2004年3月31日  バグダッドにて