美野里ハイタウンNEWS
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美野里ハイタウンNEWS-11/2004.5.8 | |
■更地 しばらく現地に行かないうちに、すっかり更地になっていました。ご近所には開発にあたる住宅会社から説明があったようで、南側半分は一戸建ての分譲住宅が124戸できるらしいです。その新しい住宅地の中には公道(市道?)が通る、とも聞きました。 南西角にあった3本の大きなハンテンボクは伐られて、跡は整地されていました。しかし北側の敷地境界にあるケヤキなどは残っています。 |
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上が4月1日、下が5月8日。 |
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新緑がきれいでした。(小川/2004.5.8) →このページのトップに戻る | |
■建物は全て取り壊されました 花見日和の3月28日。「もう建物はなくなっちゃったよ」という元住人の方からの連絡をもらい、現場へ行ってみました。 |
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左:バス停 右:敷地南側の囲い |
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11号棟解体 左から2/17、3/13、3/28 |
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左:テニスコート裏の桜が見ごろ 右:10号棟のわきではユキヤナギが |
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久しぶりの好天。珍しく工事が休みで、自動車の通る音以外はとても静かで、テニスコートのところでウグイスが鳴いていました。敷地をぐるりと囲む塀から木々の梢が見え、その上に、快晴の空が広がっています。建物が消えた空を見て、清々しい気持ちがしたのですが、それを自分で意外に思いました。塀の上、隙間からも、コブシやユキヤナギ、レンギョウ、名前のわからない草花などが見え、蝶が飛ぶ…まるで「自然公園」のようでした。 行く前に連絡してあった方、偶然通りかかった(工事を見に来た)方など、住人の方に6人も、お会いしました。一度に会ったわけではないのですが「4号棟のコブシが花が咲いたまま伐られていたでしょう?」「真ん中の公園のところの木は伐られてしまったでしょう?」と、口々に同じことを教えてくれました。みんな、「ここ」の行方が気になっているのです。(小川/2004.3.31) →このページのトップに戻る |
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美野里ハイタウンNEWS-9/2004.3.15 | |
■工事現場の表示について、松戸市役所に聞きました 3月13日に見た時、工事現場の表示看板(請負業者の許可証のようなもの)が見あたらなかったので、15日、松戸市役所に電話で聞いてみました。お話によると「建設」工事のときは、市役所への届け出が必要ですが、「解体」工事については、特別な機械を使った騒音や振動の出る特殊な工事の場合を除いて、届け出は必要ない、だから許可票などの掲示もない、ということです。 美野里ハイタウンの裏手で一足早く工事が進んでいる旧「東芝アパート」は、1月13日に前を通った際には「解体工事」の許可表示があり、3月13日に通った際は「建設工事」のものに替わっていました。それを見ていたので、解体工事も看板があるはず、と思っていたのでした。(小川/2004.3.31) →このページのトップに戻る |
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美野里ハイタウンNEWS-8/2004.3.13 | |
■完全明け渡しから約1ヶ月。1〜9号棟解体済み |
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■解体途中の10・11号棟 この日は、現場に着いて30分くらいで工事が終わって静かになりました。10,11号棟は、解体作業の各段階や、柱のない構造の建物のつくりも、なんとなくわかります。 3階より下がなく、窓(の跡)から空が見えました。本来は12,13号棟が見えるはずなのですが、既に解体されているようです。外からはよくわかりませんでした。 10号棟角に1週間の作業日程表が掲示されていましたが、解体工事業者の許可証みたいなものは出ていませんでした。(近くの東芝アパートの解体工事では出ていた) |
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美野里ハイタウンNEWS-7/2004.3.12 | |
■次に何が建つのか?ズバリ聞いてみました第2弾 |
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美野里ハイタウンNEWS-6/ 2004.3.10 | |
■観察日記3/10 本日7棟北側 4、5階部及び内部を解体後重機が6棟へ移動し、南側より7棟ベランダ部(3階部分)を解体していました。 (取材とまとめ:伊藤静龍さん/入力:小川/2004.3.12) |
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美野里ハイタウンNEWS-5/ 2004.3.5 | |
■ウグイスは今年も来るか? 解体工事が思ったより速いペースで進んでいるようなので、3月5日、また行ってみました。現場に着いて写真をとろうとした途端、デジカメを地面に落として壊してしまったので、今回は写真なしです。 さて、今回の目的は、美野里ハイタウンの全景を撮ることです。ドキュメントMovieの一番目に、団地全体を見下ろす位置からの映像があります。同じ場所から撮って、比較してみようと思ったのです。 ドキュメントMovieの映像は、沖田さんが、南隣のマンションの管理人さんにお願いして屋上から撮らせてもらったものです。この日も沖田さんは来られなかったので、私ひとりで、マンションに行ってみました。 管理人さんは沖田さんのことを覚えていて、こころよく案内してくれました。「このマンションも、美野里ハイタウンから越して来たひと何人かいるよ。ずいぶん前だけどね。」 (屋上ではなく)7階の外廊下で「確かあのあたりで撮っていたよ」という場所から、見てみました。なかなかの眺めです。白い囲いは目立つものの、木々に囲まれて機械も見えないし、建物の壊れているのは反対側(北側)なので、この時点では際だった変化は見えません。むしろ、この、いまは葉を落としている木々が新緑の季節になったら、きれいだろうな、と思います。ここから見たら、緑にうもれる瀟洒な住宅団地、と見えるでしょう。見てみたい、でも無理です。きっと新緑の頃には、更地になっているでしょうから。 管理人さん「もうちょっとあとで、工事がもっと進んでから来たら?」と笑います。 「ああ、でも、あの建物は、前は見えなかったなあ」と指さすのは、1号棟と畑を挟んで向かいあっているマンション。「ここねえ、毎年ウグイスが来るんだけど、今年はどうかなあ。こう大きな音がしてるんじゃ、来ないかもしれないね」「バスで通ってるんでね、美野里ハイタウンのバス停で降りるんですよ。バス停のあたりに、前は猫が何匹かいたけどねえ。どうしてるかねえ…」 ここに来ると、通りがかりの人によく声をかけられます。「木が多くてよかったわねえ」「このあと、どうなるのかしらねえ」 土地や建物は、持っている人、住んでいる人だけに関係があるのではない、地域の環境の一部なんだよな、とあらためて思ったのでした。 ■パンジーのご主人に会う この日も、2号棟の伊藤さんといっしょになったのですが、立ち話をしていると、犬を連れた年輩の男性が通り、伊藤さんとあいさつしました。この方が、あの「パンジー」のご主人! 古くからの住人に聞けば誰もが「好きだった」という「パンジー」の手作りパン。「美野里の子どもはみんなパンジーのパンで育った」と言っていた人もいるくらい、存在感の大きかったパン屋さんです。ぜひ一度お話を聞かせてください、とお願いしました。 (取材とまとめ:小川/2004.3.12) →このページのトップに戻る
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美野里ハイタウンNEWS-4/ 2004.2.28 | |
■1号棟解体
2月28日の夕方、美野里ハイタウンに行ってきました。明け渡し後、2度目の訪問です。 松戸駅を出たところで携帯電話が鳴りました。 「すごいです! 1号棟が大変なことになってます!」中学生携帯特派員「晴」からです。 取材用の車(ママチャリ)を飛ばして現場に駆けつけました。 ひとつ手前のバス停あたりから、なんとなく違和感がただよっています。解体工事の音が、小さいですが聞こえるのです。そこから坂を上っていき、1号棟が見えた…と思いきや、なんとそれはひとつ奥の2号棟なのでした。1号棟は、すでにコンクリート屑の山になっていて、その向こうで2号棟も、真ん中のあたりから取り壊しが始まっていました。解体の粉塵で、空気は白っぽく見えます。 2号棟元住人の伊藤さんが来ていました。毎日この時間に見に来ているそうです。下の写真で、左上の2号棟を見てください。右端の黄色い重機のボディの左側、四角い窓が3つ、その左に2つ、その下が、伊藤さんの部屋でした。「おお、4階の床がわしの部屋に落ちてきた」見ると、無数の鉄筋でつながったコンクリートの床が、垂直にぶらさがっていました。 伊藤さんによると、1号棟の解体は一昨日から始まったそうで、日を追うごとに重機が続々と投入され、今日は6台動いているとのこと。5号棟も工事がはじまっています。 よく見ると1号棟の東の端の部屋が縦1列(501〜101)残っていて、1台の機械が頸を伸ばして上のほうから取り壊しにかかるところでした。 散歩で通りかかった老夫婦が足をとめ、しばらく工事を眺めながら語り合っていました。部活の帰りらしい体操着姿の中学生たちは、ゲートの幕の隙間から中をのぞいていきます。 |
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↑1号棟の残骸に乗って、2号棟を解体 ↑東の端だけ縦に残った1号棟 ↑2号棟。真ん中から壊すのって意外 ↑見えるはずのないコンビニの看板が… |
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■おまけ
■「消えゆく町の記録」取材班は、今? 直接、住人のみなさんにインタビューしてビデオを撮影してきた沖田英史。昨年11月15日から今年2月9日まで、87日間に及んだ居候生活を切り上げ、久しぶりに横浜の自宅に帰ってみると・・・電気が止められていた。「とにかくまずは稼がねば」と、現在某OA機器の組み立て工場で働いています。1ヶ月間の予定ですが、合間をみつけて撮り溜めたインタビューの編集作業を少しずつ進めたい、とのこと。 この企画の自称プロデューサー、1号棟306号室の元住人、渡辺裕一。完全明け渡しの後のホームページの方針について、「コンセプトを俺が書く」宣言から早や2ヶ月。ある日「やっぱり“グラウンド・ゼロ”だと思う」と言い出したが、構想の全貌を明かさぬまま、2月26日からイラク取材へ。帰国は4月上旬の予定。現地とはメールで連絡がとれます。ひとまず無事バグダッド到着の報あり。 (代理報告:小川) →このページのトップに戻る |
■次に何が建つのか? ズバリ聞いてみました 2004年2月27日(金)夕方4時 競売で美野里ハイタウンを買った会社(つまり現在の持ち主)に電話してみました。 |
■白いシートで覆われた工事現場 2004年2月24日(火) 完全立ち退きからちょうど2週間。 現地・美野里ハイタウンに常駐している警備員さんに電話でお話を聞きました。
美野里ハイタウンの風景はかなり劇的に変化したようです。 |